最近米粉の記事をよく目にするのですが
必ず出てくる「小麦粉と遜色ない」的評価にはものすごく違和感を覚えています。
そもそも米の消費を増やそうということだと思うのですが
なぜにパスタやパンにして小麦粉の代用をさせる必要が・・・?
米粉の利用には昔からお団子やビーフンだってありますし
米粉自体は文化に根ざしたものだと思います。
しかし「研究」までしないとパン用やパスタ用の米粉にならないということは
よくわかんないけど何らかの化学力が入っているということで
食文化という観点からはちと不自然かなと。
米離れが進むからパンにしちゃえってのも変な話で、
食育とやらをいうなら、給食の米食の回数を増やすのが先じゃないかと思います。
それこそ給食でベトナムのフォーがでるなら小学生に戻ってもいい。
なんて気になるんで少し調べてたら、なるほど、米粉工場を各地で誘致してるわけです。
だから行政とマスコミがタッグを組んでたわけね。
その工場建てるお金で他の作物を今までの米同様に支援するほうが良くないかな?
ご飯の盟友たる味噌汁の大豆の自給率上げて安全でおいしい味噌汁作るほうが
米粉をパンにするよりも米の消費を押し上げたりして。
気をつけたいのは、米粉を入れることによって小麦より優れるというニュアンスの記事。
なぜならそれは100%米粉ではなくても「米粉パン」であって
歴史上作られ続けてきた小麦粉のパンとはまったく違うものです。
したがって味やヘルシーさの比較をすることがそもそもおかしいわけです。
なぜこの点を重要視するかというと「米=日本のもの=とにかく優れている」の
予定調和的誘導がそういった記事に見えるからなのです。
(米の伝統的な調理法を追求しない段階でもう負けてますが)
日本人は国粋主義に陥りやすい傾向があるようで
これが家づくりでも、海外のデザインはだめだ的に主張する社長さんもいます。
着物ではなくてスーツを着てますけどね。
なーんて在来工法で洋館を作っている私が言ったら怒られるかな。
多分こういう違和感って、どこまでを自然な文化の融合とするかと
安易に越えてはいけない線のせめぎあいなんだろうと思います。
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