ある方がナチュラルリビングを見て昔流行った感じだと感想を言われました。
ビンゴ!これこそが私の求めている感想です。
しかし、古いからといって古民家になっていくかというと、
ナチュラルリビングも含め、今つくられている家は古民家にはなりません。
木の家に力を入れているところはどこも「本物の家」といいたがります。
では、本物とは?古民家にならなくても本物といえるでしょうか。
基本性能が上がったため、今までのように30年で取り壊しということはあまりないでしょうが
100年住宅、200年住宅というのは、単なる言葉遊びにすぎず、
日本人の住まい方の変遷からすれば100年持つ家というのは、
これからはまずないと考えてもいいでしょう。
どんなに立派な家でも、50年もすれば大幅デザインリフォームなしでは住み手がいなくなります。
もちろん、宣伝では何代も引き継がれるようにと謳っていますし、
私自身もそのような家にしたいと考えていますが、残念ながら現実的ではないのです。
地元のいい杉を使って頑強な構造にしても、間取りやデザインが当世流行のものでは
次の10年を残って行くことはできないのです。
とくに柱を極力減らす風潮の現代の軸組み工法では現状間取りによって設計されるので、
長期優良住宅の理念でもある可変性にも乏しいと言わざるを得ません。
合わせて、そのままで引き継がれないということは
古民家にあって今の家にないものがあるのではないでしょうか。
私は、スタンダードデザインにみられる構造の単純さもさることながら、
人間的佇まいではないかと考えています。
何せ、地域でつくられてきた家の佇まいを知らない人たちがデザインを行っているわけですから
その継承はもうすでに潰えてしまっているのです。
これは地域の大工さんとて同じこと、現役の中でも古い60代の人ですら戦後生まれで、
伝承者がいないに等しいのです。
あるいは佇まいやスタンダードというものを体感していない設計士たちによって
自己流の解釈がされた「木を使っただけの家」には古民家になりえない違和感を感じるのです。
しかし、恐れることはありません。
私は明治時代の家で幼少期を過ごしましたが江戸時代は知りません。
江戸時代以前の家なんて、そうそうお目にはかかれないので知らなくて結構。
私は、家は別に古民家にならなくてもいいと考えていますし、
少しずつの変化の上に成り立った家であれば十分文化を継承していると思います。
だからナチュラルリビングの家も工業製品化が加速する前の昭和の家に仕立ててあります。
50年後でも70年後でも気に入った人が住んでくれればいいということで
変化の途上にあった、進化の流れから離れない形にしているのです。
その時に初めて、その家が本物の人間的佇まいをもったものであったかどうかが
試されるような気がします。
もっといえば、家に本物も偽物もありません。
古民家になれる家が皆無の現状では
地場の杉がどうのとか和風の民家が正統とかの話はナンセンス。
木の成長を考えれば50年後に貰い手がいれば、まあ成功。
樹齢100歳の木を使っていても
時代が変わったときに住みたいという人がいないような家は、
残念だったねというだけのことです。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。