「街に行こう」のその2は、その3へのつなぎで、本当に大切な意見はその3になります。
気分を害される方もいるかもしれませんが、軽く読み流してください。
さて、全国に金太郎飴モールができることと商店街の存亡がよく議論になります。
冷たいようですが、私は個人的には問題視していません。
その商店街でさえ、歴史の中ではもっと小さなコミュニティの個人商店や
行商に代わってきた現実があるからです。
そういった流れを鑑みると単純に大手デベロッパーを否定する政治を行うことは感情論に過ぎず、
それ以前に、商売の世襲を良しとするのは果たして正しいのかと。
あるいは商店の長男は必ずしも商売向きではないというケースも考えねばなりません。
商売はすべからく顧客のほうを向かねばならず、それ以外には真理はありません。
商店街の存在に大事なアメニティを商工会も行政もわかってはいないのではないでしょうか。
そして、そこを研究している大手と対峙した時、
商店街は自分たちの持つ魅力に気付けるのでしょうか。
リバーサイド千秋に行く前の日、新井祭りで久しぶりに新井の商店街に赴きました。
商業規模は小さいかもしれませんが、北国街道の道なりにできた商店街は
アーケードをつけた高田の本町よりもよっぽど歩いていて気持ちがいいものです。
思いもかけない家具があったり、建物の風合いも昭和そのものです。
もちろん感情に流されて、この商店街は、だから残すべきだと
外野が言える話でも無いのですけれど、気持ちのよさというものは、街に大事な要素なのです。
そこで、はたと気付くのです。
先述のように商店街はそれ以前の個人商店の衰退を生みました。
ならば、もしかしたらモールは現代の商店街なのかもしれない、と。
だとすれば新井商店街のような街に生き残るすべはないのでしょうか?
否、多分何もしないことの気持ちよさを発信し続けることが大事なのではないでしょうか。
街の気持ちよさをなくしたとき、商店街の存在意義はなくなってしまうのです。(続く)
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ナチュラルリビングは個人商店の小さな会社です。
だから大きなお仕着せのハウスメーカーとは違う空間のアメニティを毎日毎日考えています。
小さい自分には小さいなりの存在意義があると言えるように、日々探究しているのです。
地元の建築会社は商店街の様相、
頑固おやじのいる酒屋のような地元の木を使うグループがあり、
東京帰りの倅さんの開いたカフェのようなデザイナーズ住宅の会社があり、
そして、ナチュラルリビングは、昔から近所にある洋裁屋さんみたいな存在でいたいと思います。
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