前回、庭の重要性について書きましたが
庭と合わせた建築について、この仕事に就く前から気になっている点もありました。
それは庭のデザインパースと実際にできるものの両方について。
建築学科の学生の成果物や行政機関のロビーに飾ってある建築模型では
“人間の領域”と“つくられた自然の領域”がはっきりしていて、なにか冷たさを感じます。
自己満足的な説明はあれ、どこにも自然への敬意が見えないのです。
しかし、それが現在の建築・造園学会の常識となっているようで
あるいは子供のころからそんなパースばかり見せられたら
建築学を志した時には、もうすでに冷たい造園計画が染みついてしまうでしょう。
海外の高気密が紹介された当時によく見られた例ですが、
「機械力に頼るよりも日本人は自然と調和する開放性あふれた新潟の木の家を云々・・・」
と、いくら宣伝したところで、そんなパースを書いては説得力がないなあと思ったものです。
どう贔屓目に見ても日本の庭のほうが工業的だったわけです。
これもまた、建築業界よりも建材業界によるところもあり、
造園材のパンフレットの施工写真には、かっちりきっちりした建材でできたお庭ばかり。
当たり前です。
だって、造園材メーカーのですもの。
これからの建築業界の若いスタッフは、なるべくカタログやパンフレットをうのみにするのではなく
そして教科書や建築の大家を信じることなく自分の心と向き合うべきでしょう。
家も庭も優しさが大事。
これはもうデザインの系統の好き嫌いの問題ではなく、
人間という動物が何を求めるかということです。
日本庭園でも家庭ハーブ園でもいいのです。
ただ、施工楽ちんお手入れ楽ちんな建材を並べただけの庭では家や街並みが泣きます。
そして意外にも施工費の割によくはなりません。
手作りの庭のほうがメンテナンスを含めても安いかもしれません。
じゃあ、どんな庭を提案するのと言われれば、
今はまだできないので困ってしまうのです。
もっと心を研ぎすまさなければ。
今日は辛口で上から目線ですが、そこに佇んで、それだけで涙が出るほどの経験をしてきたので
どうしても伝えたかったのです。
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