上の写真は先日の記事にも使ったわが家のパティオの写真です。
壁は汚れていますし冬の間に雪の下だったアイアンテーブルから錆が出てしまいました。
これをきれいと感じられるかどうかで庭のつくりや家の雰囲気が変わります。
きれいという言葉をクリーンと訳すかビューチフルと訳すかの差です。
ナチュラルリビング以外の会社さんはすべてクリーンなデザインのほうだと思います。
汚れません、お手入れ楽々、いろいろ言い方があって、できたものもカチッと決まっています。
対して私たちの家は造園計画も含めて人間と自然の境目が曖昧で、
汚れを大事にする佇まいを大事にしています。
学生の卒業制作や行政の計画模型に見られるような
スチレンボードとグリーンのパウダーでつくるようなきっちりした空気感にはしたくないのです。
雨だれや水はねがあってもいいじゃないですか。
隣の落ち葉が入ってきてもいいじゃないですか。
だって、クリーンじゃなくてもきれいということは掃除をしなくてもそれなりに見えますし
そもそも暮らしというものはとても曖昧で泥臭いものです。
レザンでお世話になった造園屋さんはその点をよく理解してくれました。
家の仕上げも、お庭のつくり方一つとっても、コンセプトが伝わらなければ
たとえ同じ図面を使っていても建材を並べただけになってしまうのです。
もし、あなたの家が洋書スタイルを目指している、あるいは一時期はやったプロバンス風で、
なんか想像していたのと違うと感じているのなら、
そこに足りないものは暮らしの証としての汚れなのです。
こればかりはエイジングの塗装や仕上げではわざとらしくなるばかりで出せません。
新築する時はずっとピカピカでいて欲しいと願うものですが
汚れも風合いになるという角度で見るとまた違った考えもできますよ。
熟年夫婦の会話。
「目じりにしわがふえたねえ。」
「お互いたくさん笑ってきたからね。」
人も家も歳をとるから美しいのです。
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