家に限らず「物」が人を幸せにするのは事実です。
でも実は「人」が物を幸せにしているということがあるのをご存知でしょうか。
非常に抽象的でわかりにくいのですが、
住まい手の所有欲(あるいは建築家の自己顕示欲)を満たすだけの家と
そこに住む家族と家という物体がともに幸せになっている家は
玄関に入ったときから空気感が違います。
家が喜んでいるのを感じますし、人や街並みを拒絶しないんです。
長期優良住宅の制度は条文として理解するのは簡単ですが
この空気感を理解できないと非常に危険だと思います。
残念ながらこの制度では、
次代の人々に愛されないであろう家までが認定を受けてしまいます。
世界の歴史に決して存在し得なかったデジタルなデザインや軽々しい建材や
隣人への配慮のない拒絶的な建物までもが長期間の存在を意義付けられてしまいます。
ここが私の最も危惧しているところで、
マスコミに作られた「かっこいい住宅」の定義に沿って市場が動く中で
多数派になるであろうそんな住宅が長期にわたり街並みを席巻することに
不自然さを覚えるわけです。
建築学科を出て1級建築士をいとも簡単に取得してしまう優秀な若い建築士は、しかし、
自分が新しいデザインの潮流を作るなどは絶対に考えてはならないことで
まずは和でも洋でも歴史に紡がれてきた「オーソドックス」のもつ優しい空気感や
街並みへの配慮を勉強しなければならないのです。
ここで結論です。
実は家を長持ちさせるのに一番必要なのは技術的な数値ではなくて
愛情なのではないでしょうか。
築30年の家も80年の家もしっかりと直してあげれば耐震性も住み心地もまだまだ現役です。
わざわざ制度化しなくても、物を大事にする家族に補助金でも何でもやりゃいいんです。
そしてそれこそが長期優良住宅の本当の意義でしょうし、
新築の家でもこれから愛されて住み継がれていくだろうなという家をつくることこそが
環境への配慮なのではないでしょうか。
家という「物」を幸せに微笑ませることの出来ない建築会社には
本当の意味での長期優良住宅はつくれないでしょう。
そして、結論の回になってタイトルもひっくり返りました。
「長期優良住宅≠本当に長く愛せる家」から「本当に長く愛される家=長期優良住宅」に。
制度ではなく、結果としてずーっと住み継がれる家をつくることこそが
ナチュラルリビングのコンセプトの原点なのです。
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余談ですが、残念なことにビフォーアフターがまた始まってしまいました。
これで市場はまた「機能と収納と死んだ先代の思い出の品」の演出と
レフ板を当てた照明と「なんということでしょう!」に流されてしまうでしょう。
ビフォーアフターすること自体のコンセプトはいいのですが
デザインにおいてはもうすこしオーソドックスを復権させられないでしょうかねえ・・・。
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