中学になると図画工作(図工と言ってましたね)の授業が技術と美術に分かれます。
その中でデザイン教育というものがされたせいでしょうか、
日本人の共通認識として「デザインすると飽きる」というものがあるような気がします。
先生にもよるかとは思いますが、授業では、デザインとは何ぞやということよりも、
「新しい形をつくること=デザイン」のようになっているかもしれません。
生徒がやるならまだしも、大人になっても奇抜な形をしようとするから性質が悪い。
結果、飽きる家、飽きない家という変な表現がされてしまうものができてしまうのです。
和モダンやらデザイナーズ風、あるいは現地に行ったことが無い建築士による○○国風。
結局どれも新しい形ですから、常に違和感を感じてしまうので愛着が続かない。
これが飽きると呼ばれる現象でしょう。
また、この教育手法では逆の現象もあり、
シンプルなものはデザインされていないかのように捉えがちですが
シンプルにすることや機能優先にしつつ違和感なくすることは
実はものすごく緻密にデザインしないとできないのです。
何稿かに一度デザインについて書いていますが、今回もきっかけがあります。
先日届いた、デザイナーズ住宅のネットワークになりませんかという
パンフの写真で度肝を抜かれました。
真っ黒な宇宙船のような箱が普通の家の横に建っている・・・。
しかも一階より二階がリーゼントになっている。
家は長期的につきあっていくもので一瞬の嗜好品ではないはずです。
その時の流行や好み、あるいはびっくり感で建てるのは
いささか危険ではないかと思ったので書きました。
ましてやお客様の家が建築家の「作品」であってはならないと思います。
こんな「作品」が並ぶ街並みはどこの国でも見たことありません。
大切なのは地面に根をおろしてきた形、普通のデザイン。
本来は飽きる飽きないの表現がされるはずがないもの。
装飾を排することもデザインですし、デコレートすることもデザイン。
どちらも手段であって目的になってはいけないということです。
大切なのは違和感のない形。
違和感無くまとめあげることで初めて長く愛される家になるのです。
以前も書きましたが、私は築90年の古民家に育ち、海外での暮らしの体験が多いです。
それを活かしながら、和の心にも洋の心にも共通する空気感を探しながら
ナチュラルリビングの空間をつくります。
よく見ていただくとわかりますが、ナチュラルリビングの家は
昭和のモルタル建築の流れを汲む外観です。
衣食住が西洋化し、さらに無国籍化している現在ですが
大正や昭和の大工さんたちに取り入れられた文明開化のDNAの家ならば
必ずしも日本建築である必要はないと考えています。
ちょうど京都の街角にある洋館のように残していきたい建物になればいいなと思います。
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